看護師って職業を他人にも薦めますか?

って聞かれたら、どう答えるだろう・・・。

マイナス面は・・・

頑張ってもお金持ちにはなれない(医者と結婚するという手はあるか!?)

勤務時間が不規則←夜勤明けで働いている人を見ながら朝からお酒を呑むなどお得なこともあるけど(笑)

うんちおしっこが手につく←そのうち気にしなくなる(笑)

時に殴られ蹴られ爪を立てて皮膚をえぐられる←それでもやり返せない、世間の常識が通用しない閉ざされた世界、消耗戦。


マイナス面ばっかりやん!(笑)

『白衣の天使』って言葉はだれが考えたんでしょうね(笑)

うんちおしっこが手についても、もう慣れっこなのでなんとも思いません。

大金持ちにはなれないけど、普通に働いていればそれなりの収入はあります。(年収500万以上はもらえるはず)

患者からの暴力(セクハラ含む)は、ぐっと我慢。そして、やられた自慢で、戦友に慰めてもらいましょう。


それでも、看護師を続けていく理由。

楽しいから!

人のために働いているという実感!

人生の岐路に立たされている患者に寄り添えるという実感!

そして今自分がやらなければという使命感!


患者さんの中には、いつか医師になるんでしょ?って聞いてくる方がいますが、そもそも医師に憧れたことはありません。

医師と看護師は決定的に違います。基本的に大学病院の医師は朝から晩まで働いています。

看護師は、勤務時間だけです。

医師は、患者のそばにいるときは診察か検査か診療のときです。看護師は24時間患者のそばにいます。

医師は患者の病気を中心にケアしていきます。看護師は患者を全人的にケアしていきます。(っとよく言われています(笑))


明らかに向いている視点が違うのです。

違わなければならないとも思ってます。

そう考えると、やっぱり自分は看護師が向いているのだと思います。

重症ケアをして24時間患者を看ていると、ある時をきっかけにもぞもぞ動き出すことがあります。『たぶん痛いのです、苦しいのです。』言葉には出しませんが、そう感じる時があります。

ここに気づけるかが看護師の大事なことです。

ただ時々動くんで危険だから抑制しました!

で終わってしまってはダメなのです。ここを感じ取れる感性が大切なのです。(感じるだけでなく、今ではスケール評価が重要ですが、それでも感性は大切です。)


鎮痛薬を増やしてほしくて医師に報告し、医師が見に来ると、だいたいは落ち着いて動かなくなります。そして、医師は決まってこう言います。

『大丈夫そうじゃん。時々うごくだけで、みてられるなら増やす必要ないよ。鎮痛薬だって副作用あるし~・・・・・・』

そんなのはわかってるわボケ!見てられるとか見てられないとか医療者側の感覚で話しているんじゃねぇ!痛みを感じてるなら、感じない程度にコントロールしてあげればいいじゃん。こんな状態を放っておくからせん妄になるだよ!なったら、さらに薬使って副作用増やして、患者のQOL低下させているのはどこのどいつじゃ!ボケ!っと心で叫びながら、『先生、じゃあ痛みを感じていそうなら、ベースを上げずに鎮痛薬フラッシュ(早送り)で対応ってことでいいですね?』と誘導尋問して抵抗してみたり、こいつには話が通じないと思い『わかりました。ありがとうございます。』と丁重にあしらって、別の医師(話が通じる医師)に再度報告するなど抵抗していきます。

とにかく、患者のためになにがベストなのか。そのために、今何ができるのか。本当に痛みを我慢させることがベストなのか?、自分の家族ならそんなことして欲しくないですよね。

自分が患者だったら、できる限り痛みは感じないようにしてほしいですよね。特に急性期で自分では動けない状態の時ぐらいは。

だから、看護師が必要なのです。最後の砦なのです。患者や家族の代弁者なのです。医療者側と患者側の橋渡し役でなければならないのです。これができないなら、私は看護師をやっている意味がないと思ってます。

しかし、こういう些細な抵抗は看護師を疲弊させます。

こういうアプローチは高い使命感と職業倫理がなければ成り立たないのです。

看護観が育たなかったり、疲弊してくると徐々に医師の言いなりになります。

報告したんだから、私は抵抗した。仕事した。と思い込むようになります。

そして、医師が言ったんだからこれが正しい選択だっていうようになります。主語が『患者』から、『私は』にいつしか変わって自分中心の看護になってしまいます。


実際、医療費と呼ばれる看護加算ってこういうところには加算されません。

どんなに頑張っても出世するわけではないし、お金が加算されるわけでもない。

逆に、倫理観がしっかりしていて医師に意見をする看護師は、プライドだけが高い医師からは嫌われるし、良いことないわけですよ。←僕が嫌われているわけではないですよ(笑)

だったら、抵抗を辞めようって思いますよね。思っても仕方がないと思います。だから、こういう環境だと看護観を育てるのは難しいんだなぁって思います。

看護に理解のある医師や目指すべき方向性の同じ医師とは意見の相違があっても、必ず摺合せできます。

何か気になることない?って信頼できる医師は自分から聞いてきます。

患者のそばに24時間いる看護師が一番患者や家族のことをわかっていると知っているからです。


私の看護観が育ったと思うのは、そういう看護観のしっかりした先輩方に常々指導されてきたからだと思います。

『痛がっているのに放っておいたの?なんでもっとしっかり鎮痛・鎮静してあげないの?あなたが、患者に今日してあげられることは何?あなたは患者にどうなって欲しいの?』と看護観の心髄を揺さぶられるような質問を常々受けてきて、そして考えるような習慣がついたからだと思います。

理解ある医師からも『私たちはここまではやってあげられるから、あとは看護師さんたちは何をしてくれるの?今はここまでしかできないから、看護師さんたちよろしくお願いします。看護師はなにをしてるの?』と言われ、医師から看護の力を信用してますよ~看護の役割してくださいよ~って投げかけられている、試されていると感じ、そのプレッシャーに打ち勝たなければって考えるようなっていきました。


そんな環境で働けたことが自分の看護観を、育て成長させてていったのではないかと思います。

辛かった経験もしんどかった経験があったからこそ、成長できるのだと今、感謝しています。

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